同居人の肖像――祖母の場合
鉄人を地で行く祖父と異なり、祖母は病弱なひとだ。
現状、食事・排泄・風呂などの日常生活に大きな支障はないものの、定期的に検査が必要な上、しばしば異常が見つかっては入退院をしている。現代医学のおかげで命をつないでいる、サイボーグおばあさんだ。しかし、精神はいつまでも強靱だ。
祖母の大病遍歴を振り返ってみよう。
事の発端は四十年前。肺癌がみつかったとき、祖母は四十代になったばかりだった。手術によって癌を摘出したが、四十年前の医療技術では、肋骨一本と左肺の三分の一ほども同時に失うことになった。
多大な犠牲を払い、五年生存率が五十パーセント以下と言われていながらも、祖母は生還した。幸い、今日まで癌の再発はしていない。なお、この出来事によって喫煙者であった祖父は煙草をすっぱり止めたのだった。
四十年前の手術は、現在の祖母の身体に大きな負担を強いている。七十代半ばから、祖母は大きな声を出せなくなった。常に喉風邪をひいているような、嗄れた声しか出せなくなったのだ。また、喉の力も弱くなり、嚥下能力が低下した。主治医によると、肺を大きく削った代償だという。
声はともかく、悩ましいのは嚥下能力の低下である。幸い、食べ物を詰まらせるような事故は起きていないが、「飲み込むこと」に多大な労力が必要になったことで、食事量が減ってしまった。目下、私が最も頭を悩ませているのは、どうすれば祖母がより多くの食事を摂取してくれるか、である。食欲自体はある。だから、ちょこちょことオヤツは食べてくれる。しかし、減った食事量を補えるほどではない。現状、祖母は低体重の状態だ。このままでは、ちょっとした風邪が命取りになりかねない。病を得ても対抗できる力を蓄えるために、少しでも多くカロリーをとって欲しい、というのが孫の願いだ。私は日々、いろいろなものを柔らかく煮ることに苦心している。
癌を克服して以降も祖母は、胃にピロリ菌を飼ってみたり、血栓のリスクが高くなってみたりして、頻繁に病院通いをしていた。これらは現代薬学の力でどうにかなっていたのだが、今から五年ほど前、再びの大手術を余儀なくされた。
心不全である。心臓の脈動が不規則になった結果、脳貧血を起こし、倒れてしまったのだ。幸いすぐに意識が戻り、病院に行ったのだが、転倒によって頭を打っており、数針縫う羽目になった。その後、検査によって原因が特定され、ペースメーカーをいれる手術が実施されたのだった。
なお、祖母が転倒した現場には、たまたま私が居合わせた。台所で食事をしていたら、隣で用事をしていた祖母が突然ひっくり返ったのである。脳貧血を起こしている間は、意識が飛び、呼びかけにも答えなかった。間もなく正気を取り戻したが、いくら名前を呼んでも虚ろな表情で震えるばかりの祖母は、現在まで私のトラウマになっている。
閑話休題。コロナ禍の時節であったため、手術に立ち会うことはできなかった。手術日の夕方、祖母からの電話を取った私は、少なからず緊張していたと思う。その日の会話を、私は今日まで鮮明に覚えている。
「――もしもし、おばあさん」
「ああ、もしもし。港」
「具合はどうですか」
「そうねぇ……ごはんがマズい」
椅子に座っていた私は、どんな漫画よりも盛大に、座面からずり落ちた。ペースメーカーを入れる手術をしたひとの電話の、開口一番のセリフがこれか。なんてこった。そして私は、家中のお菓子を集めて、替えの下着と共に祖母に差し入れたのだった。
私に多大なる心労を残して、祖母はまたも生還を果たした。このように数々の大病を退けてきた祖母を、祖父や我が母は、「不死鳥」「悪運が強い」「しぶといババア」などと畏敬の念を込めて評する。
もうおわかりかもしれないが、我が祖母の特徴は、病を恐れないことと、小食のくせに食い意地が張っていることである。人生の半分にも及び、祖母は病気と小康を繰り返してきた。彼女は死神と顔なじみで、しかも死神に嫌われているようだ。落語のように呪文を知っているのか、或いは良いお歳暮でも毎年贈っているのかと疑いたくなる。
幾多の死線をくぐり抜けた祖母は、大概のことには動じない。ここまでに述べた以外でも、肺炎になったついでにコロナウィルスに感染してみるなど、病気がらみのエピソードは掃いて捨てるほどあるのだが、私は祖母が怖がったり、弱音を吐いたりした場面を一度も見たことがない。
どんな手術が待ち受けていようと、どんな病が身に降りかかろうと、祖母は今日の病院食に文句を垂れるし、明日のおやつが気にかかる。大病という不幸を、些細な日常の一部にしてしまう祖母の精神力は、何度目の当たりにしても恐れ入るばかりだ。
残念なことに、どうやって真似ればいいのかは、全くわからないのだが。
同居人の肖像――祖母の場合
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