雛人形のハナシ
電気屋さんが点検に来る。ついては、屋根裏に上がれる戸袋を空にしなくてはならない。重いものが入っているから下ろして頂戴。
祖母はそう言って、私を徴集した。居候は一も二もなく従った。
私は我が家でいちばん身が軽く、頑丈で、背が高い。いちばん力持ちなのは祖父だが、脚立に乗る作業は、いかに鉄人といえども八十代男性には不安がある。そんなわけで、高所に腕を伸ばすような仕事は、私が呼ばれるのが通例となっている。
件の戸袋は、母屋の中央部、物置として使われている窓のない部屋にある。部屋を埋めているのは、主に祖母の衣類だ。彼女は衣装持ちなのだ。
六畳以上あるはずの部屋は、箪笥や衣装ケースが所狭しと置かれていて、「脚立を置くための空間をつくる作業」が必要だった。
これでも、私がモモの家に越してきたときに、いくらか祖母の服を捨ててスペースを作ったのである。しかし、そんなものは屁のツッパリにもならぬ、といわんばかりの物量が、私の前に聳え立つ。そして恐ろしいことに、物置部屋はここ以外にふたつある。この家のひとびとは、総じて物を捨てるということを知らない。
どうにか脚立を据えつけて、戸袋から段ボールを取り出していく。まず見えたのは、やはり衣類が入った箱だ。嵩張るだけで軽いものは助かる。次の箱も軽い。次々下ろしていく。
さて、と戸袋の一番奥を覗き込む。なんだか嫌な予感がするのだ。段ボールに紐がかけてあって、側面にマジックで何か書いてある。
手前まで引き出して、文字を読む。ちょっと色褪せた黒で、「ひな人形」と手書きされている。
――エラい物が出てきた。仕舞われている場所から言って、私世代のものではない。
「おばあさん、雛人形って書いてあります」
脚立の下で控える祖母に、私はSOSを求めた。たぶん、少し怯えた声だっただろう。箱の中身は私より年上なのだ。
とはいえ、私のミッションは戸袋を空にすることである。慎重に慎重をきして、私は「ひな人形」の箱を下ろした。
段ボールで囲われた中に、ガラスケースがあるのがわかる。そうっと廊下まで運び出して、ようやく息をつく。なにはともあれ、これで電気屋さんが天井裏に入ることができるだろう。当初の目的は達成した。
さて、問題は「ひな人形」である。物置部屋の戸袋の奥深くに、何年仕舞われていたのか知らないが、長らく手入れをされていないのは確かだ。カビとか虫とか鼠とか、何らかの被害を受けている可能性もある。そもそも、これは誰のものなのだ。
すっかりビビっている私をよそに、祖母は躊躇なく梱包を解いた。ひとかかえほどのガラスケースの中に、男女ひと組のお内裏様が座っている。
覆いがあったのがよかったのか、雛人形はすっかり綺麗なままだった。金糸銀糸で飾られた衣装も、白い顔も、長い黒髪も、昨日まで座敷に飾られていたように生き生きしている。
「あら、ユキエの雛人形だわ」
祖母が名前を出したのは、私の叔母だった。既婚者である彼女がこの家を去ってから、既に十五年以上経っている。いつから雛人形が飾られなくなったのかはわからないが、どんなに少なく見積もっても二十年は日の目を見ていないだろう。
しかし、そんなことは関係ないと言わんばかりに、ガラスの奥の雛人形は、うっすらと笑っている。
私は雛人形が好きだ。女の子たちの成長と健康を祈り、幸せを願って作られた人形が好きだ。ぞっとするほど整った頭と、贅を尽くした衣装は、少女たちを守るための美しさだ。雛人形は愛と真心の道具である。
だからこそ、古い雛人形には独特の凄味があるように、私には思える。女の子が女性になって、母になったら、雛人形はお役御免なのだろうか。私にはそうは思えないのだ。戸袋の奥や物置の隅に葬られてなお、雛人形は、かつての少女たちを守っているんじゃないだろうか。そんな夢想をせずにはいられない。
故に、私は古い雛人形に畏敬の念を覚える。叔母の雛人形は、私の倍近い年月を生きた品だ。私が敵う相手ではない。
――だが、祖母はもっと長生きだ。雛人形の久々のお目見えにも、不遜な態度を崩さない。
「久しぶりに見たわね。ずいぶん綺麗じゃない」
居丈高に言うと、祖母は手近なボロ布で雛人形のガラスケースを拭いてやる。そして、廊下の明るいところにケースを置くと、
「お前たち、また暗いところにもどるんだから、今のうちに少し陽に当たっておきなさいね」
なんて言い放つ。
うーむ、強い。さすがの年の功である。
その後、恙なく点検は終了し、叔母の雛人形は戸袋の奥へと帰って行った。私は祖母と茶を飲みながら、おそるおそる尋ねた。
「おばあさん、もしやこの家には、私の母の雛人形もあるんじゃないですか」
父方の実家では、我が母の雛人形を見たことがない。ということは、この家のどこかに、いまだ隠されし雛人形があるのではなかろうか。あっさりと祖母は答える。
「あるわよ。そっちは、廊下の押し入れのはず」
やはりか。いや、場所が特定されているだけましだ。
「じゃあ、この家には二組も雛人形があるんですね」
「いいえ、三組ですよ。私のがあるもの」
「はぁ⁉ おばあさんのですか‼」
「ええ、嫁入り道具に持ってきたの」
そうだった。我が祖母は、けっこうちゃんとした輿入れをしてきたひとなのだ。祖母の嫁入り道具である桐箪笥は立派なもので、いまだバリバリの現役だ。鏡台も十分に使える状態なので、私の寝室に置いてある。そんなひとなら、雛人形を伴って来ていてもおかしくない。
「最後に出したの、何年前ですか」
「さあ……」
祖母は興味なさそうにしているが、私はうそ寒い心地である。いくら不死鳥の如き生命力を持つ祖母といえども、ほんとうに永遠の命を得ているわけではない。どんなに遠くとも数十年後には、彼女の持ち物を整理せねばならない日が来る。そして、その場には私がいるだろう。私は祖母の雛人形を畏敬をもって迎え、その処遇に頭を悩ますに違いないのだ。
我が家の物置には、八十代の元少女を守る雛人形が眠っている。いつか、役目を終えた彼女らを見つける日のことが、私は少し怖い。
雛人形のハナシ
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