手前味噌のハナシ
「味噌をつくるんだけど、人手が足りないの。手伝って頂戴」
祖母はそう言って、私を徴集した。居候は一も二もなく従った。
物心ついてからというもの、私が知っている味噌とは、母方の家から出てくる味噌だ。我が母は同じ市内に住んでいるのをいいことに、結婚してからも実家の味噌を分けてもらっていた。それで作った味噌汁を父方の家で出していたのだから、冷静になってみるとエラい話である。何故トラブルが起きなかったかといえば、ひとえに我が母の料理が美味いからだ。圧倒的実力ですべてを屈服させる、それが彼女の流儀である。
そんなわけで、子供のころから今日まで、私は市販品の味噌を買ったことがない。ひとり暮らしをしていたときも、祖母の味噌を送ってもらっていた。文字通り己をつくってくれた味噌が、どうやってできているのかを、恥ずかしながら私はちっとも知らなかったし、知ろうとも思わなかった。己の浅慮を猛省しつつ、一月のある日、私は地元の農協へ赴いた。
味噌づくりは大仕事だ。地域の御婦人方が集まって、数軒分の味噌を一気に仕込む。私が日々食べていたのは、祖母や御婦人方の手によるものだったのだ。農協には巨大圧力鍋を備えた「味噌炊き部屋」があり、希望する組合員に貸し出されている。今回の戦場はここだ。
味噌づくりで陣頭指揮をとるのは、私の親戚だ。ここでは五番のおばちゃんと呼ぼう。五番のおばちゃんは、私の大伯父の奥様で、祖母の義理の姉にあたる。嫁と小姑という、不仲になりやすい関係だが、幸いにもふたりは仲良しだ。身体が弱い祖母のことを気遣い、何かと我が家を訪ねてくれる、素敵なおばちゃんである。
そのほか、近在の御婦人方を交えて、味噌づくりが始まった。私は右も左もわからないので、一連の流れを覚えつつ、積極的に力仕事を引き受ける。若さをこのように使うのが、御婦人方と仲良くなるコツだ。
味噌づくりの行程は、ざっと次のようなものだ。まず、水に浸しておいた大豆を、圧力鍋で炊く。炊き加減の見極めには熟練を要するため、五番のおばちゃんが頼みだ。集団で行う味噌づくりだが、各種技能は意外と属人的なのである。
鍋から大豆を引き上げたら、たらいに広げ、適温まで冷ます。大豆の温度が高いと麹が死んでしまうし、低すぎると次の行程で潰しにくくなる。おおよそ湯船の温度程度になったら、塩きり麹(麹と塩を混ぜたもの)を投入し、大豆と混ぜて均一になるようにする。麹を準備してくれたのも、五番のおばちゃんだ。おばちゃんは何でもできる。
次に登場するのは、「大豆ミンチマシーン」だ。精肉店で挽肉を作る機械と同じものである。これに、大豆と麹の混交物を投入し、味噌のタネを作っていく。大豆を投入するには少々コツが必要で、一気に入れすぎるとつかえてしまう。そんな時は、すりこぎで詰まりを解消してやる必要がある。
「絶ッッッッッッッッ対に、手でやっちゃぁ駄目だよ」
「は、はい……」
御婦人方に念を押され、そりゃそうだよな、と思いつつ私は返事をする。こんなに強く警告するということは、もしや。
「何年か前、これやってた人が手を入れて、指がぽろっと……」
やはりか。味噌づくりが一気に猟奇流血事故現場だ。当時のことは、御婦人方の記憶にしっかり残っているらしい。
「××さんだっけ」
「違うわ、うちの嫁さんよォ」
「あのときアンタ、凄かったわよ。すぐに機械の電源を止めて、『探してッ!』って」
「指がミンチになる前だったから、お陰できれいにくっついて、今じゃ何にもなかったみたいなのよ」
「でも大変だったわよ、皆で機械の中の豆を出して探していたけど、切れた指もちょうど大豆と同じくらいの大きさだったから、なかなか見つからなくて……」
事故現場に居合わせた御婦人方だが、田舎のレディというのはストロング・スタイルが基本なので、多少の流血沙汰には動じない。彼女らにかかれば指先ミンチ未遂事件も笑い話だ。ただ、当事者が今回の味噌づくりにいないのは、さもありなん、というところでもある。
大豆をミンチにできたら、これを樽に詰める作業が待っている。
先に述べたとおり、大豆をミンチにする機械は、挽肉を作る機械と同じものである。当然、ミンチにされた大豆の質感も、挽肉とよく似ている。これを手に取り、大きめのハンバーグのように整形する。さらには、数度両手に打ち付けて、空気を抜く作業も行う。ハンバーグづくりに限りなく似た行程だが、これは仕込んだ大豆が空気に触れるのを防ぐためのものだ。
味噌づくりの天敵は、水と空気である。水分や空気に触れてしまうことが、仕込んだ大豆が発酵せずに腐敗する原因なのだ。味噌づくり成功のコツは、水と空気を徹底的に排除することである。
大豆を詰める樽も、きれいに洗った後はしっかり水分を拭き取って、アルコールを吹きかける。さらに、樽の内側に塩をまぶす。この行程をおろそかにすると、せっかく仕込んだ大豆も腐敗まっしぐらである。
下準備をした樽に大豆を詰める行程でも、空気を抜くための徹底した工夫がある。先程のハンバーグ状に大豆をまとめる作業がそうだ。樽に入れるときもただ詰めるのではなく、樽の内壁に叩きつけるようにして敷き込んでいく。こうすることで、やはり空気を抜く効果が期待できる。大豆が平らになるよう、極力均等に叩き込んだら、拳で押しつぶすようにしてこれでもかと空気を抜く。樽の内壁ぞいは、空気が溜まりやすいので、しっかり圧力をかける必要がある。こうして一層ぶん大豆を詰めることができたら、その上にまた大豆を叩きつけていく。味噌づくりの現場には、大豆が樽に叩き込まれる破裂音が響いている。
この行程がたいへんな重労働である。いくつもの大豆ハンバーグを樽に叩き込むうちに、僧帽筋・広背筋など、背中の筋肉が疲弊していくのだ。また、拳で大豆を敷き込んでいく作業では、上腕に負荷がかかるのが感じられる。私は一日この作業に従事した結果、翌日から三日ほど筋肉痛に悩まされることとなった。
樽いっぱいに大豆を詰めたら、表面に塩をまぶし、ラップをかけて密閉する。これで、味噌の仕込みは完了だ。冷暗所で熟成させると、半年後には食べられるようになる。
以上の行程で完成する我が地域の手作り味噌は、やや辛口で、豆の味が強い。また、熟成してから漉していないため、市販品のように完璧なペースト状ではなく、豆や麹の粒が残った仕上がりになる。長年、この作り方のものが私にとっての味噌だったので、はじめて市販品を食べたときは、味の違いに驚いた。誰もが食べやすいよう丸みのある風味の市販品と比べると、手作り味噌は癖があり、使い方に工夫がいる。しかし、手作り味噌に慣れた舌では、市販品の味噌は物足りないのだ。手前味噌を自慢する人の気持ちもわかる。
一連の仕事を終えた私たちは、味噌炊き部屋の機材を片付けて解散した。また来年、味噌を仕込むことを相談しながら。
一年後の予定を立てることなどそう多くない。それも、味噌づくりという日常的な非日常の予定を立てるのは、初めての経験だ。私はいつにない満足感を感じながら、味噌の樽を自家用車に積み込んだ。
手前味噌のハナシ
モバイル端末の方は横スクロール、PCの方はSHIFT+スクロールでお読みいただけます。
投稿日
最終更新日
COMMERCIAL

