マス寿司とトラックのハナシ

マス寿司とトラックのハナシ

 発端は祖父の腰痛である。いかな鉄人といえども、寄る年波の影響をまったく受けないわけではない。昨冬、農作業の最中に祖父は腰を痛めてしまった。
 農閑期に入る寸前であったため、仕事への影響は最小限ですんだ。しかし、祖父は思い通りにいかない腰と二ヶ月ほどもつきあう羽目になったのだった。
 祖父を最も苦しめたのは、車の運転ができないことだ。自動車のわずかな縦揺れでさえ、祖父の腰を苛む。この状態では、運転に集中することもできないし、外出も極力避けるほかない。我が家が位置するのは、公共交通機関などあってないような土地である。これまで、数日に一度は車で外出していた祖父だが、当面の引きこもり生活を余儀なくされた。
 折しも時期は師走である。年の瀬の用事もあれこれと多い中、祖父は寝床と仲良しな日々を送っていた。そして、問題が発生した。
 祖父の積ん読が尽きたのだ。
 我が祖父は、どこに出しても恥ずかしくない読書家である。農閑期には、週に二度ほど図書館に通い、抱えるほどの本を読み漁っている。
 当然、寝込んでいる間も祖父は本を読み続けていた。借りた本を読み終わるのに、そう時間はかからない。しかし、車が使えないため図書館に行けない。寝込んでいる間にすることがない。
 大問題である。
 とりあえず、私の蔵書の中から祖父が好みそうな小説を提供し、当座をしのいでもらう。しかし、長くはもたない。祖父は己の腰と相談を始めた。結果、ちょっと具合が良くなった日に、私の運転で図書館に行くこととなった。車に乗っているのも辛そうであるが、読書欲が苦痛を上回ったらしい。私は祖父のストイックな姿勢に、惜しみない賞賛を贈った。
 そのような生活を続ける祖父は、静かにフラストレーションを溜めていた。無理もないことだ。そして、祖父の不満はある日、食欲となって発露した。
 トリガーとなったのは、近所のスーパーマーケットが催した「全国駅弁特集」のチラシである。各地の名物弁当を仕入れる、という催しだが、品目の中に富山名物マス寿司があった。祖父は、これが食べたいと言い出したのだ。
 遡ること二ヶ月前、私は所用で北陸を訪れた。その際、お土産のひとつとしてマス寿司を持ち帰ったのだが、祖父はこの味をすっかり気に入っていたらしい。日々の退屈に耐えかねた結果、マス寿司が食べたいと強硬に主張しはじめた。
 ところが、その日私には用事があり、スーパーマーケットに行くのは現実的ではなかった。不憫な状態になっている祖父の願いを、叶えたいのは山々だが、用事を終えて買いに行ってもマス寿司が残っている保証はない。
 折衷案として、私は東京駅の駅弁屋でマス寿司を仕入れることにした。翌日、東京方面に行く予定があったので、駅弁屋に取り置きを頼んだのだ。祖父も待つのは構わないらしく、楽しみの延期に納得してくれた。
 次の日、私は退勤後に東京駅に立ち寄った。うっかり帰路につかぬよう、手のひらに極太マッキーで「ますずし」と書いていたら、同僚に大変笑われたが、仕方が無い。家には空腹のおじいさんが待っているのだ。
 マス寿司が入った紙袋を手に、東京を歩く冬の夜。道行く人は、私を富山帰りと思うだろうが、違う。私はこれから、食い意地の張った鉄人に、マス寿司を届けるのだ。
 どんぶらこっこと電車に揺られ、空が広い田園地帯まで帰る。冬の田舎は静かだ。凍結に注意しつつ、自宅まで車を走らせる。マス寿司は、助手席の上に恭しく積まれている。今宵、おまえを美味しく頂くのだ。
 ――と思っていた私を迎えたのは、屋根の端が吹き飛んだ我が家だった。
 祖母の証言はこうだ。丁度私が東京駅でマス寿司を受け取っていたころ。日没後の暗闇の中、我が家の敷地に侵入する十トントラックがあった。
 我が家の出入り口付近は、右手に納屋、左手に母屋と、建物が入り組んでいる。自家用車や小型のトラックならさほど問題ないのだが、十トントラックが侵入するためには、少々技量が必要だ。そして残念なことに、このトラックのドライバーは運転上手ではなかったらしい。夜闇に響く轟音に、祖母があわてて表に出ると、納屋と母屋の軒先がそれぞれ、無残にも吹き飛んでいたのだった。
 私が帰ってくるのと丁度入れ違いに、トラックは出て行ったらしい。相手の連絡先など、諸々の話を聞きながら、私は乾いた笑いを漏らすほかなかった。今夜はゆっくりと、マス寿司を堪能するつもりだったのだ。十トントラックが家に突っ込んでくる、なんて予定は立てた覚えがない。
「それで、トラックはウチに何の用事だったんですか」
「それがねぇ、三軒となりに行くはずだったのに、間違えたらしいの」
「間違えてウチの軒先を吹っ飛ばしたんですか!」
 災厄とは、勝手に来るから災厄なのだと、実感する出来事だ。人的被害が出なかったことが、不幸中の幸いである。
 帰宅するなり衝撃的な事件が待ち受けていたが、できることは限られている。なんと言っても夜だ。相手の会社が謝罪に来るそうだが、明日以降の話である。仕方が無いので、今夜の主役をすっかり奪われてしまったマス寿司を切り、三人で食べることにした。状況が混迷を極めていようと、富山名物は素晴らしく美味しかった。
 後日、「ますずし」を見た同僚に、あの日はどうだったの、と問われたので、
「家に帰ったら十トントラックが突っ込んでた」
 と言っておいた。嘘はついていない。

モバイル端末の方は横スクロール、PCの方はSHIFT+スクロールでお読みいただけます。

投稿日

最終更新日

COMMERCIAL

ほかにも「」の記事があるよ